2019.01.16  だいじなことはインターネットの中にはあまりない

2019.01.20 想像することからはじまる

2019.01.25一年が早い

2019.02.05お母さん誕生日おめでとう

2019.02.09まわりのかずすくないたいせつなひとをたいせつにできるように。みんなじゃなくて

2019.02.17SNSでは弱音をいいたくない。

2019.02.24ねむい

2019.02.28ねむい でも映画見たい今から 

2019.03.01二月があっというまにおわった。陰鬱とした映画を見て陰鬱とした気持ち。こわい夢見ませんように!!

2019.03.02 ねむううううううううううううううううううううい けど、今から映画見たい

2019.03.13 最近怖い夢ばかり見るよ。。寝るの好きなのに!!怖い夢は見たくない!!!

2019.03.20毎日考えている。ずーーーっとまえから!!!!!!!!!心の大事な部分だから大事にする。

2019.03.23春めいてきたから明日亀とおさんぽでかけようかなとおもったが明日はさむいみたい。色ちゃん(亀)は気温と比例して食欲も増している。

2019.03.28正体のわからない虚無感にずっと襲われている。誰かに話したいけど話さずにいる。自分で消化するのが良いのだろう。

2019.03.31なんで、なんも知らないくせにそんなこと言うんだろうっておもったけど、そっか、なんも知らないからそんなこと言えるんだな 知ったらそんな風にいえないだろう

2019.04.03はしってもはしっても全然追いつかないなぁなどと思うがとまっちゃだめ一生追いつかないので

2019.04.03何も感じない対象について、その場を円滑にやりすごすために、まるでうまい棒のように安くてスカスカ、だけどいい具合に味がする様な、本質は空虚な言葉を口にするのもう嫌だな。

2019.04.09友達になってって、初めて言ったかもしれないな。お水のようにとぷんと入っていくような感じだな。不思議な感じ

2019.04.10ねむい

2019.04.12高かった電気代が温かくなるにつれ安くなって嬉しい。しずかにしずかにめをつむって深呼吸 色んなものが移ろって行く 

2019.04.13ねむい

2019.04.15神経が切れていて不自由な左手が、最近ずっと痙攣していて人の目に触れるのがはばかられると感じるほどだ。

2019.04.18大好きなかわいいかわいい犬の訃報の電話。かなしくて、でも、まだ理解できない。あの子はもういないの?

2019.04.19まだ心の整理がつかず。

2019.05.04左手の痙攣が治ったようだ。絵本を立体的に考えることができるようになってきたような感覚がある。気のせいじゃなければ。

2019.05.06休みはずっと絵本のことを考えていた。じっくり付き合える時間があってよかった。

2019.05.08ラフのページにおく文字が、(鉛筆でちょくせつ書く)まちがったとこにおくと、ここじゃないって 伝えてくるようになった、伝えてくるという表現があっているのかわかんないけど・・。この声(文字)は この場所じゃないの もっと インデントをあけて とか もっと、おおきくしてって 文字の配置で、その言葉が音となって、声となって、本当に聞こえるように、感じられる、ちょうどいい、ぴったりなところが 必ずあってそれが、文字を置いた時に直観的に、わかるようになった。デザイン的に見たら美しくないかもしれません。それは、なんか変な物をやったとかではなく、この10連休、ただひたすら、それにむかってすべてを注いでいたら、ある日、突然 そうなりました。感覚的なものだから、ちょっとこの作業から離れたら、この感覚は失われるのかもしれないです。それはいやだけど・・。パソコンでながしこんでたら この感覚はなかったでしょう。

なるべく 文字を 書いていくようにしよう。と思った。

2019.05.10このあいだお父さんが東京に来ました。展示で絵の搬入があったからです。一緒にお茶をしました。美術館のショップで好きな物を買いなさい、ただし5千円以内ね、と言って私に一万円を渡しました。私は何も買わずに返しました。なんだ、せっかくなにか買ってあげようと思ったのにとお父さんは言いました。私は、安いのなにか買えばよかったな、と思いました。そして、一緒に展示を見ました。あ、この作品一番好きだな、と心の中で思った作品がありました。すると、お父さんも、私はこの作品が一番好きなんだと言いました。この人は間違いなく私の父であると思いました。それは揺るがないつよいものでした。

2019.05.12ショーンタンの展示を拝見した。ああクレイジーだなと思う。あついものがこみあげる。じぶんはなんてちいさな問題にとらわれていたんだろうと思う。

2019.05.14ねむい。絵本制作の取材で週末は実家に帰る。おんちゃんの知り合いの漁師さんの船に乗せてもらうことになっている。かすかすの燃えカスになるくらいやってみよう。それが世にでなかったとしてもきっと後悔はしないだろう。だめだったらだめでまた次に進む、それだけのこと。

2019.05.30いたたまれない事件が起きた。たとえばあえて それに 悪 と名前をつけるとして。悪 を叩きつぶす のではなく 悪が 何が原因となって 生れたのかを 考えること そして 悪 を知り 悪があるからこそ 善 を知り 今の場所から前進すること。悪 を 悪として そこで 思考停止に なってしまわないこと。高橋源一郎さんの話を聞きながら 昨日おこった事件の事を考える。自分はこどもさんたちに何ができるだろう。

2019.05.31なにができるのか?を考える。通っている放課後等デイサービスのこどもさんたちを危険からまもり、のびのびじゆうに過ごしてもらう時間を作ることに徹すること 想像力や心が豊かになる間口を広げられるお手伝いができるような絵本をつくること 自分の家族を愛すること

20190711ねむたい。ねむいねむいけど、書いておこう。絵本の力を間のあたりにしたことを。放課後デイサービスでの読み聞かせの時間。あれは五味太郎さんの絵本だった。ぞうはどこへもいかない だった ぞうがどこかへさらわれていき、元の場所へ戻ってくるお話。大部分の説明は絵でなされていて、文章は短く絵を説明する文ではない。一人の子が、先生が見開きの文章を読み終わった時に「ぞう!」と大声でいい、笑った。すると、次のページの見開きから、文章が読まれたあと、こどもたちが みんなでいっせいに声を合わせ「ぞう!」とさけぶようになった。誰も示し合わせたわけでもないのに! ページを追うごとに、クレッシェンドしていくように子供達はだんだん興奮を増していき、絶叫するように「ぞう!!」とさけびきゃーきゃーと大声をあげて笑っている。みんな大変に興奮している。なんだこれは?いったいこの子たちに何が起きたのだ? 自分が絵本に取り組み始めてから、絵本にまつわる本を読み漁り、知識では(よい)絵本の持つ力を知っていたが、これを体感したのは初めてだった。こどもたちは、すっと絵本の世界に入り込む。絵本の世界を、頭ではなく体で感じている。ねむくって、バーッと書き連ねているけど、もうすこしちゃんと書き残したい。ちょっと、ねむいから、またゆっくり。

2019.0719京都アニメーションを襲撃した事件、本当にいたたまれない。犯行の状況をニュースで知り、文字面だけで胃が痛む。計り知れない憎悪と殺意。その根源は何だったのだろう・・。けがされた皆さんが一刻も早く回復されますように。どうかこれ以上命が失われませんように。皆さんがまたアニメーションを作れる平穏な毎日が訪れますように。応援しています。

20190802躁鬱である。

20190804すこしずつ回復している。ファンタジーをよむ。

20190813気仙沼に3日間の帰省で完全に回復、東京に帰ってきたら人生で一番の悪夢を見た、超こわかった、でも、内容忘れたからいっか